「茨木のり子さんの詩に「倚(よ)りかからず」というものがあります。1926年(昭和元年)生まれの老年期を迎えた茨木さんは、まわりへの投げかけと同時に内側への決意のようなものをうたっています。
自立とは何でしょうか。介護する私たちは、自分自身の物差しに人を合わそうとしてはいないでしょうか。
ある特別養護老人ホームでのことです。ふたりの車いすの女性が食堂に座っておられました。Aさんは、「私は、今まで一生懸命子供たちを育ててきた。何も悪いことなどしていないのに、なぜこんなところに居なければならないのか」と、一日中泣いたり怒ったり自分のおかれた境遇にたいへん苦しんでおられました。ところが、少し離れた場所に席をもつBさんは、Aさんよりもずっと身体的に悪く、車いすにやっとへばりついているような人でしたが、いつも微笑みを絶やさず、介護する職員や周りのお年よりに感謝の言葉をかけておられました。ある日、Bさんがうつむいてじっとしておられるので、職員が心配になって覗いてみると、静かに感謝のお祈りをされていたのでした。
介護保険では、自立という言葉がひとり歩きしているように思えます。寝たきりの人が起きられるようになったとか、おむつがはずれたとか、閉じこもりの人が外に出られるようになったとか、そんなことをだけ自立として評価していないでしょうか。AさんやBさんをみる限り、 身体が衰えても、本当の幸せは精神的な自立⇒自律なのだと思えます。
孔子の論語には「老い」を「七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)を踰(こ)えず」とあり、生理的には節度を失うような行動が出来なくなったが、しかし、心の求めているものがなお在るということが解ります。そう考えると、例えば家事援助で、掃除・洗濯・調理の、訪問介護計画においてのケア手順書(指示書)は、その人のそれらへの営みへの価値観を大切に作成されるものでなくてはならないと思います。人の思いに寄り添えること、それが訪問介護の深さにつながるもの、そして選ばれる事業所の第一の条件です。
茨木のり子さんはこんなことも言っています。
『苦しみに負けて/哀しみにひしがれて/とげとげのサボテンと化してしまうのは/ごめんである(「苦しみの日々 哀しみの日々」より一部引用)』と。
茨木 のり子 (いばらぎ のりこ、1926年6月12日 - 2006年2月19日)
本名、三浦 のり子(みうら のりこ)。
同人誌『櫂』を創刊し、戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人。童話作家、エッセイスト、脚本家でもある。主な詩集に『鎮魂歌』、『自分の感受性くらい』、『見えない配達夫』などがある。