健康は、日々の食事によって実現されるといっても過言ではありません。身体的にも精神的にも満足する献立を調理し食卓に供すること―それは、これまで多くの女たちが担ってきた役割でした。石垣りんさんの詩『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』には、そんな様子が描かれています。
一人ひとりの生きがいを、食卓を通してサポートすること。嗜好に合った栄養バランスの整ったおいしい食事を用意すること。また、それを楽しく味わう雰囲気をつくること。―石垣りんさんは、家庭における女たちの無償の行為の中に、もっとも大切なものがあることを表現しようとしています。
夫を2年前に亡くし、続けて長男も亡くした77歳のSさんは、現在一人暮らしです。要介護1のSさんは買物と掃除、調理などで週に2回訪問介護を利用しています。しかし、ヘルパーさんの作った煮物や味噌汁も、食べたり食べなかったり。そんなSさんの所に、私はケアマネジャーとして1ヶ月に2回~3回、不定期に訪問しています。訪問のたびに、いつもSさんは「あとどのくらい?どれくらいで昇天できるかしら?」と私に膝をくっつけてきます。「生きていたって仕方ないじゃないの」と投げやりに言い、それからベッドに潜りこんでしまうのです。
ある日の午後、私は近くを訪問したのでSさんの家に寄ってみました。すると、Sさんは食器棚の中のお茶碗を不自由な手で食卓に出して並べ、椅子に座って俯くようにため息をついていました。夫と息子さんの大きめのご飯茶碗と汁碗とお箸、そしてSさんの小さめのお茶碗が、おそらく昔の食卓のそのままに並べられていました。私は、Sさんが家族との暮らしを何よりも大切に温めてきたのだと改めて感じました。
それを見て、私はSさんがどんなふうに「食すること」を考えているのかをプランにのせてみようと思いました。そして、ヘルパーさんと話し合い、食事のときには、Sさんの思い出話や季節の食材についてのこだわりを聴くことにしました。過去のことに触れるのを避けるのではなく、むしろ妻としての食生活を振り返ってもらうことで、Sさん自身の内側から日々を生きることへの意欲がでてくるような気がしたからです。
3月の初め、ヘルパーさんによると、Sさんはその日の献立の「ぶり大根」を作る際に小さな変化を見せてくれました。「ぶりに塩を振って10分置いて熱湯をかけると、ぶりの臭みは消える」と、ヘルパーさんに嬉しそうに話して聞かせたのだそうです。
私もこんな詩を書いたことがあります。 『夕べ遅く帰ってきた人に/ひどいことを言ってしまった/脱ぎ捨てられた疲れを/拾い集めれば/見慣れた髭やひときわ高い鼾に/いとしさがこみ上げてきた/せめて一杯の茶を注ぎ/温める余裕も持たず/飛び出していった言葉を手繰り寄せ/今まな板の上に並べて/とんとん刻んでみる/鍋に閉じ込め/たっぷりの湯で煮込んでみる/(中略)くりかえしくりかえし拭き上げた食卓には/白い器に盛った緑草色のきゅうりの糠漬けと/なめこを浮かべた味噌汁/(中略)/やさしい音で並べておこう/ここから始まる一日であれば朝』
食することが女たちの歴史であり、そこから膨らんでいくものがあるのだとすれば、訪問介護においての「調理(をする)」というのは、もっとも深くて大切な生活援助だと思えるのです。
石垣りん詩集 思潮社 現代詩文庫
向井ひろ江詩集 帰郷 視点社
石垣 りん (いしがき りん、1920(大正9)年2月21日 – 2004(平成16)年12月26日)
東京・赤坂の薪炭商の第1子として生まれる。4歳の時に生母と死別、以後18歳までに3人の義母を持つ。また、3人の妹と2人の弟を持つが、死別や離別を経験する。小学校を卒業した後、14歳で日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、戦前、戦中、戦後と家族の生活を支えた。そのかたわら詩を次々と発表。職場の機関誌にも作品を発表したため、銀行員詩人と呼ばれた。『断層』『歴程』同人。第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞受賞。教科書に多数の作品が収録されているほか、合唱曲の作詞でも知られる。