私は、生まれ変わりを信じている。今度、地球に生まれてきたなら、何をやろうかと考える。・・・続きを見る
介護を受けるプロ 障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長
“心地よいケアを受ける”とはどういうこと?
生まれながらに脳性小児麻痺という障害を負った小山内さんが、様々な人の助けを借りて生きるなかで、感じたこと、学んだことをお伝えするページです。
介護コラム
第52回 刀師になりたい NEW
第51回 85歳のヘルパーさん
ヘルパー不足は深刻です。もう口説く人が思い当たらなくなり、理学療法士をやっていた息子にヘルパー事業所を手伝うように頼みました。・・・続きを見る
第50回 ヘルパーの手に突然花が咲いた
老人ホームから来られたヘルパーさんが現在、一週間に5人の在宅の障がい者のところに入っている。5人のケアを行っているので、・・・続きを見る
第49回 北海道の季節の味覚
北海道は食べ物が美味しいことが自慢です。最近では暖かくなり、お米が美味しくなったと喜んでいましたが、・・・続きを見る
第48回 脳性まひの二次障害と老化現象
どんな障がいでも、歳を取っていくと重くなり、歩けなくなったり、手が動かなくなったり、身体全体の関節が硬くなってくる。30年ぐらい前までは・・・続きを見る
第47回 トイレが職場
毎月必要なヘルパーの時間数を決めるとき、私の場合は仕事中の介助者の時間は抜かれる。・・・続きを見る
第46回 バトンタッチされながら生きている私
私は1953 年に和寒町で生まれた。和寒町は北海道のほぼ真ん中にある。・・・続きを見る
第45回 「ありがとう」の意味
私は戦後の1953年に生まれた。両親は北海道の真ん中のあたりの和寒町で農業と酪農を行っていた。父の兄が戦死したので、弟である父が土地を受け継いだのである。・・・続きを見る
第44回 春の喜び
札幌は5月の終わりごろになると、ようやく日陰の雪も溶けタンポポの花が咲いてきます。タンポポの花をじっと見ていると、幼い・・・続きを見る
第43回 私たちは天使にはなれない
私は脳性麻痺者として生まれ、母に大切に育てられてきた。しかし母の手はいつかは消える、そして普通の女性として生きたいと思い、・・・続きを見る
第42回 ぼたん雪の舞う夜空に花火をあげたい
札幌はあたり一面雪が降り、車いす利用者にとっては外へ出にくい季節になった。(あまり外へ遊びに行けないなぁ。・・・続きを見る
第41回 痛みの中で感謝する
私の膀胱の調子が悪くなってきている。どこに行くときも障がい者用トイレがあるかどうかをまず考えてから、・・・続きを見る
第40回 私たちコロナで死ぬ前に…
今新型コロナウイルスで世界中が戸惑っている。濃厚接触してはいけないというが、障がい者はヘルパーさんに抱き上げられたり、・・・続きを見る
第39回 防護服を着てケアを受ける実験をやりたい
季刊『へるぱ!』の2020年4月に出る号に載るこの原稿は、2020年2月の半ばに書いている。今は世界中の人々が新型コロナウイルスにおびえている、・・・続きを見る
第38回 真剣に生きているとモテるのよ!
『こんな夜更けにバナナかよ』の映画は、10億円以上の興行収入だそうです。障がい者を主人公にした映画で、・・・続きを見る
第37回 この部屋は私の部屋
私のところにはヘルパーさんが12人来てくださっている。長い人では25年くらいになる。ヘルパーさんが私のところに長く来てくださることは、私の・・・続きを見る
第36回 切実な問題です
私は生まれたときから手を使ったことがありません。夢でも足を使っています。子どものころ、「なぜ神は足に5本の指をつけたのか」ということを・・・続きを見る
第35回 危篤
2018年のゴールデンウィークは、風邪をひき2週間以上寝込んでいました。3週間ぶりに外に出ると、・・・続きを見る
第34回 狂っている時計
私の家には時計が7個あります。いつ何があっても、ヘルパーさんの時間帯を気にしなければいけないので、どこからでも時計を見られるようにしています。気にしすぎて、・・・続きを見る
第33回 障がい児と障がいのない子どもたちが触れ合う環境がほしい
2017年11月14日、札幌は枯れ葉が舞い散る季節、北海道大学の作業療法学科に講義をしに行きました。障がい者が講義をすることは、・・・続きを見る
第32回 ケアを受けるにはお互いの思いやりが大切
1980年ごろから、ボランティアの力だけでやる障がい者ケアに限界を感じ、寄付金を求め、自分たちでヘルパー事業を行ってみようと思いました。いくら社会や行政に訴えても・・・続きを見る
第31回 ケアの仕事が大好き
両手が使えない私は、職場介助者を雇い働いている。職場での介助者といっても、・・・続きを見る
第30回 真っ赤な花のように咲かせたい
最近、私のところに来てくださっているヘルパーさんは、60歳前後の人が増えてきています。・・・続きを見る
第29回 毛糸のネックレス
最近、毛糸で編んだネックレスが流行っているようだ。黒柳徹子さんが・・・続きを見る
第28回 ヘルパーという職業に就いてほしい
慢性的なヘルパー不足により、全国の在宅で生活する障がい者や高齢者が困っている。30年くらい前まではボランティアが、私たちのケアをしてくださっていた。しかし・・・続きを見る
第27回 広くて深いケアの世界
ヘルパーの仕事について書きつづってきたが、ヘルパーの仕事は、家事、身体、送迎など幅広い。近年は医療ケアまでもしなければ、・・・続きを見る
第26回 私の人生に定年はない
60歳を過ぎると私のまわりは定年退職する人が増え、一方、街に出かければ一緒にお話したり、食事をする人が減ってきていると感じる。身体が疲れてくると私も退職したいと・・・続きを見る
第25回 不思議な体験
今朝来たヘルパーさんがぜん息で声が出なかった。低い声でかすかに彼女の声が聞こえる。去年も同じことがあったので「分かりました。あなたはもう喋らなく・・・続きを見る
第24回 ヘルパー学校に行きたい
私のヘルパーは資格を持たずに来る人もいる。私のケアは口で事細かく伝えるからだ。でも言葉だけでは・・・続きを見る
第23回 長いソーセージ
私が脳性まひ者としてケアを受けていることは少し書き飽きたので、今回は友だちがケアを受けている姿を見て感じたことを・・・続きを見る
第22回 キッチンにあったスマートフォン
昨日の夕食は豆腐とエビと長ネギの炒め物であった。とてもおいしく、ウイスキーに合った。しかし、・・・続きを見る
第21回 さんま事件
現在、私のところに12人のヘルパーさんが来てくださって生活している。ケアのやり方はいくら言葉で言っても、・・・続きを見る
第20回 備えあれば憂いなし
私はマンションの5階に住んでいる。車いすやベッドのキャスターのせいで、少しの地震でも敏感に揺れを感じる。・・・続きを見る
第19回 ヘルパーさんたちの手でリハビリを受ける
どんな障がいを持っている人も歳をとるごとに障がいが重くなっていく。私も朝晩ヘルパーさんにリハビリをしていただいている。「最近どうも座りにくくなってきた。背骨が・・・続きを見る
第18回 試験官に障がい者も参加させて
日本は慢性的なヘルパー不足になっている。4、5 年前まではちょっと探せばヘルパーさんが笑顔を浮かべて来てくれた。ヘルパー事業所は頭を悩ませている。、・・・続きを見る
第17回 ヘルパーを受けてきた歴史
1980年、27歳のときから私は親元を離れ、ヘルパーを受けながら生活をしてきた。長い道のりであった。ヘルパーさんは最初、・・・続きを見る
第16回 分かち合って生きること
1960年代、私は学校と病院が一緒になっている施設にいた。そこで出る3食の食事がとてもまずかったことを覚えている。例えば、豚汁には肉の脂ばかりが・・・続きを見る
第15回 ばあちゃんになり生きる方法を考える
安倍首相になってから、なんだか福祉、介護、ヘルパー、などという言葉はマスコミでは禁止用語になってしまったようである。高齢化社会に向けて・・・続きを見る
第14回 あなたは私の手になれますか
このタイトルで1997 年に中央法規出版から本を出した。私が書いたものでこの本がいちばん売れている。毎年増刷してくださっているのでロングセラーだろう。この本は・・・続きを見る
第13回 助けてください!!
今、日本に何が起きているのでしょうか。どこのヘルパー事業所もヘルパーが来なくて困っています。私ももう一人、ヘルパーさんに来てほしかったので、お店にビラを貼っていただいたり、・・・続きを見る
第12回 心の中の花火
年々土日はゆっくり過ごせている。料理のレシピを覚え、ヘルパーさんと語り合いながら新しい料理にチャレンジしている。なぜこんなにゆったりとした時間を過ごせるのか・・・続きを見る
第11回 旅のケアはどうしたらよいのか
2008年、私は55歳のとき「悪性リンパ腫」という病気にかかり、あまり長生きできないことがわかった。医者に7年は生きられると言われ、7年も生きられたなら何か一つ大きな仕事ができると思った。・・・続きを見る
第10回 お刺身から湯気が出た!!
私は36 年間ボランティアとヘルパーの手で生きてきた。両親と一緒にいたのなら、ヘルパー制度は受けられなかった。今は19 歳の障害を持った女性がお母さんと一緒に暮らしていても、ヘルパーさんが来ていると聞き「あぁ!羨ましいなぁ」と思った。・・・続きを見る
第9回 介助者の手で久しぶりの外国旅行
100%リンパ癌が治ったのだから、ニューヨークへ行こうと決めた。しかし、障がいが重くなってきているので、いざ着いたら疲れ果ててどこへも行けなくては困るという恐怖を持った・・・続きを見る
第8回 ヘルパーの手は神の手
私は首が痛くて仕事を休んでいた。しかし、秘書とヘルパーさんたちのストレッチ体操により、身体が日々よくなってきていることを知り、心の底からヘルパーの手は神の手だと思っている。ストレッチ体操は・・・続きを見る
第7回 ゆっくりとした時間
1週間がとても長く感じるときがある。木曜日がいちばん疲れが出てくる。障がい者で、施設長をやるということは、トイレもゆっくり入ってはいられない。私の家は時計だらけである。時計を見ながらヘルパーさんにケアをしていただく・・・続きを見る
第6回 だれでも天才の手を持っている
私が今まで生きてきて、何人の人にケアをしていただいたか数え切れない。気持ちのいい手や、ちょっと怖い手や、迷いのある手や、怒りがこもった手など、触られると感じ取れる。顔を洗うとき毎日違ったやり方なので・・・続きを見る
第5回 ヘルパーと私の秘密
私は約30年間、ボランティアとヘルパーの手で生きている。そのときのドラマはありすぎて書き尽くせない。ドラマを知りたい方は私の本を読んでいただきたい。若き日、恋人ができたとき、彼はベッドメイキングもせずに慌てて会社へ・・・続きを見る
第4回 温かな手をください
地球は常に動き、生きている。傲慢な人間が地球に勝とうと立派な建物を建てても、一瞬にして奪い去るときがある。原発を守ろうとして高い塀をつくり、まだ懲りずに原発を運転しようとしている。どんなに高い塀をつくっても・・・続きを見る
第3回 ドラえもんのケア制度
ホームヘルパー制度を真剣に勉強するためには、海外に行かなければいけないと思った。だからヨーロッパでは、指折り数えきれないほどたくさんの国を訪問した。一般の福祉見学コースは断り、通訳の人に車で街中を走るよう頼んだ・・・続きを見る
第2回 障害は力である
1977年に「札幌いちご会」は、「どんなに障害が重い人でも地域で生活をしたい」というキャッチフレーズを掲げ、障害者自身が寄付金を集めて自立生活運動を始めた。最初はすべてボランティアの力で活動をしていた。私の部屋が・・・続きを見る
第1回 母の入院で考えたこと
母の手は私の手。手が動いた経験がない私は、母の手で生きてきた。考えたことは母がすべてケアしてくれた。しかし、中学校2年生のとき、母は働きすぎて入院してしまった。思春期の私は父にトイレを手伝ってもらうことに抵抗を感じた・・・続きを見る
小山内 美智子
障害者自立生活センター
札幌いちご会 理事長
前社会福祉法人アンビシャス施設長
プロフィール
1953年生まれ
障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長
前社会福祉法人アンビシャス施設長
自身、脳性麻痺で「ケアを受けるプロ」を自認
2008年 悪性リンパ腫を発病したが、半年の闘病生活を経て、社会復帰を果たす。
北海道大学医学部作業療法学科で教鞭をとるなど、介護教育に力を入れている。
また、著書『わたし、生きるからね』(岩波書店)などほか多数あり。