明けましておめでとうございます。今年もこの画面上で皆さんにお会いできるよう、頑張っていこうと思います。さて今回は、平成に入ってからの事例で、今でも忘れられない利用者さん(O氏)との関わりの中で感じたことをお伝えします。
措置のころ(介護保険が始まる前)、ますます援助を必要とする方々が増えてくる中で、限られた数のホームヘルパーが訪問回数を増やすことは大変に難しいことでした。民間業者が少しずつ参入しだした時期ではありますが、当時は現在と比べて介護業界全体が連携をとるという感覚は薄かったように思います。そんな中、ようやく始まった訪問看護や保健所の保健師の方々にも関っていただきながら、利用者訪問と次の利用者訪問の間の時間などをうまく使って、ホームヘルパーは週3回の訪問以外にも頻繁にO氏宅を訪問していました。
O氏は糖尿病から視野が狭くなってきていて、アパートの2階に住んでいたこともあり、歩行が不安で一人で外に出ることなどできないと訴えてきました。一方、アパートの大家さんは「火事にでもなったら困るから、そろそろ出て行ってもらわないと困る」と私たちが訪問するたびに訴えてきます。そういうやりとりがあった後、担当の生活保護ワーカーと老人の担当ワーカーがO氏宅を訪問、本人の了解を得てすぐに施設入所が決まりました。
私とO氏は一緒に思い出深い荷物を片付け、ダンボールに入れました。片付けの途中、何年かけて貯めてきたのか、10円玉がびっしり入った大きな茶色い薬瓶が3つ出てきました。「この瓶はどうしますか?」と私が聞くと、O氏はそのまま持っていくと答えました。そして、片付けも終わったある金曜の朝、私はO氏と一緒に、特別養護老人ホームに向かうことになりました。
これまで住んでいた環境とは全く違う風景に、大きな不安と諦めに似た感情があったのでしょうか。O氏は施設が近づくに連れ、だんだん言葉少なになっていきました。それを見て、私は胸が苦しくなりました。施設に到着すると、O氏と共に施設や同室の方々に挨拶を済ませ、O氏が自宅から持ってきた3個のダンボールを開けて収納しました。「本当に、これでいいの?」と私が問いかけると、O氏は静かな声で「うん」と答えました。そして、片付けのときに見た10円玉でいっぱいの薬瓶をどうするか、施設に預かってもらうかと訊ねてみても、やはり「うん」と小さく答えるだけでした。
O氏の入所から4日後の、月曜日午前8時半のことです。施設から私の職場に1本の電話がありました。それは、Oさんが亡くなったという知らせでした。
生きがいを求め挑戦し続ける命と、他者の意のままに同意し自分の道を決め絶えてしまう命。O氏の事例だけでなく、介護の世界にいると、様々な命の形に遭遇します。だからこそ、皆さんに是非とも考えていただきたいのです。
命とは何なのでしょうか。生きるとは何なのでしょうか。一人ひとりが歩んできた道とは、その人にしかない宝物とは、果たして何なのでしょうか。その宝物を探し出し、なにも提案することができない自分自身とは何なのでしょうか。そして、私たちの仕事=介護とは一体何なのでしょうか。