都会の中におきざりにされたお年寄りが沢山いるんです
▲利用者さんのお宅に向かう菅原さん。事業所の近くを訪問する際はもっぱら自転車。少し離れた場所には電車や地下鉄を使って移動する。
―こんな街中に高齢者介護の事業所があるとは思いませんでしたね。
菅原さん:そうかもしれませんね。でも実際は、都会だからこそ私達のような仕事が必要なんです。
―このあたりはオフィス街というか、問屋街というか、そういうイメージはありますが・・・。
菅原さん:それだけではないんですよ。信じられないことかもしれませんが、オフィス街のビル群の陰には誰にも知られずひっそりと暮らす高齢者の生活があるんですよ。
―何だか意外ですね。
菅原さん:ビジネスの拠点として考えられることが多い千代田区は、他の地域とは違ってちょっと特殊な環境かもしれませんね。
先祖代々、この地で生まれ育ってきたという方も多く、時代を感じさせるお宅にお住まいの方もいらっしゃいます。そんな情緒あるところではありますが、都会の都合によってビルの上のほうに詰め込まれてしまっている高齢者も少なくありません。高齢者の生活が、都会の中でおきざりにされてしまっているんです。
昔は違ったと思いますが、今の千代田区という場所、特に神田あたりは、高齢者が生活をするにはとても不便な場所です。悲しい話ですが、これが現実なんです。
都会だからこそ、私達が必要なんです
▲利用者さんのお宅に到着。
ビル郡の狭間に、時代の流れに取り残されたかのような昭和の空間が現れる。都心の高齢者はこういう場所で外界との関わりも少なく生活している。
―都会のほうが何でも揃っていて便利な気がしますが?
菅原さん:若い方にとっては便利な場所かもしれません。でもね、高齢者にはちっとも優しくないですよ(笑)。
まず、買物が大変。スーパーが近くにないんです。少し離れればありますが、そこまでがお年寄りにはとっても遠いんですよね。
―なるほど・・・。
菅原さん:他の地区なら利用者さんと一緒にお買物に行くこともできます。
しかし、このあたりでそれをすると、片道だけで介護保険の範囲のサービス時間を越えてしまうんです。
だから、神田周辺にお住まいの利用者さんたちは最寄りのコンビニエンスストアを上手に利用なさっています。
そして、そこでは買えないものだけを、ヘルパーさん達にお願いして買ってきてもらう―。
そうして生活をしているんです。
▲菅原さん:「手すりがあったほうがいいですね。」
玄関で手すりについてお話するご利用者と菅原さん。
―もしかして、ヘルパーさんだけが話し相手だったりするんですか?
菅原さん:そういうケースも少なくないですね。
住居が多い場所だと、ちょっと外に出ればそこに暮らす方々とのふれあいもあります。
しかし、オフィス街にはそういうふれあいが殆どありません。そもそも、そこで暮らす人の数が少ないですからね。
だから、週に1回のヘルパーの訪問をとっても楽しみにしていらっしゃる方もおられます。
居住地区との大きな違いは「横のつながり」
▲昔ながらの作りの家の風呂場は段差が多く、高齢者には危険が伴う。「お風呂に入るのが怖いのよ」と言う利用者さんに、菅原さんは「ここに手すりが欲しいですね」と優しく語りかける。
―都会ならではの問題が、まだまだありそうですね。
菅原さん:そうですね。居住地区との大きな違いは横のつながり、いわゆるコミュニティが形成されにくいという点に尽きます。
だから、独居の方の場合は特に心配です。
例えば、急に具合が悪くなって突然倒れても、近所を徘徊していたとしてもすぐに気付いてあげられないことがあります。
もっと地域のネットワークがあればいいんでしょうが、実際にはなかなか難しいんですよ。
▲利用者さん:「ここも不便なのよ。」
利用者さんの相談を受ける菅原さん。
―地域によって、高齢者を取り巻く環境に違いがあるんですね。
菅原さん:そう感じますね。
私達の事業所は、千代田区だけでなく、この周辺の中央区や文京区、大田区、新宿区へも伺います。
すると、地域ごとの高齢者の生活の違いがよく分かるんですよ。
老若男女がバランス良く生活している地域とそうでない地域の高齢者の活動範囲はずいぶん違いますからね。
▲親身になって相談を受ける菅原さん。
声は大きく、ハキハキと。
―やっぱり、介護や福祉には地域の方との連携が不可欠だと?
菅原さん:地域の方々のご協力やご理解が得られれば、それに越したことはありません。
しかし、ビル群に囲まれた都会のど真ん中では、ご近所や地域の方の協力が得られないケースも少なくありません。
その分、私たちの心配事は増えますし、責任も大きく感じます。
でも、それ以上に大きなやり甲斐を感じられる、素晴らしい仕事だと私は思っています。
※写真掲載について:利用者様には写真掲載について、あらかじめご承諾をいただいております。
バブル崩壊がキッカケで、介護の業界に
▲外出から戻ってホッと一息。
―どのくらい介護業界でお勤めなんですか?
菅原さん:25歳の時からなので、今年で12年になります。
―うわぁー、すごい。ベテランですね。
菅原さん:そういわれる年齢になりましたね(笑)。
私が介護業界に入ってきた当時は、介護保険なんて制度はまだありませんでしたし、ヘルパーも特別な資格は必要なかったんですよ。
―そうだったんですか。
菅原さん:ええ。私がこの業界に入った頃は「介護券」というチケットのようなものがあって、利用者さんはこれを使って介護サービスを受けていらっしゃいました。
それに、ヘルパーも今ほど専門性があるとは言えず、どちらかというと家政婦の延長上にある仕事だと思われていましたね。何というか、「何でも屋さん」みたいに思われていました(笑)。
―もともと介護に興味があってこの業界に入られたんですか?
菅原さん:いいえ、そうじゃないんですよ。私は以前、ベビーシッターとして働いていました。とはいっても、家政婦のようなお仕事もありましたけれどね。
バブルの頃はベビーシッターの仕事も多くて、ちゃんと生計を立てることができていたんです。ところが、バブル崩壊の後、ベビーシッターの仕事がどんどん減ってしまって・・・。私自身、今後のことでちょうど迷っていた時期に、高齢者介護の仕事が増えだしたと聞いて、やってみようかなと思ったんです。
ベビーシッターのお仕事も、利用者さんの家庭に入ってお世話をするでしょう?だから、私にもできるかなって。それでこの業界に入ったんです。
―「バブル崩壊」が、菅原さんの人生の分岐点なんですね。
菅原さん:そうですね。もしもバブルが崩壊していなかったら、今もずっとベビーシッターをしていたと思います。