(1) 漠然としていた福祉の道で、早9年。
▲朝のケアが終了し、車で戻ってきた森田さん。
―なぜ介護業界で働こうと思ったんですか?
森田さん:はっきりしたキッカケはありません。一つだけあるとしたら私の祖母でしょうか。祖母の介護を近くで見ていたことは、動機づけになったような気がします。
―もう少し詳しく介護の話を聞かせていただけるでしょうか。
森田さん:はい。祖母とは私が小学生のころ一緒に生活をしていましたが、そのうちに少しずつ認知症の気配が出てきたんです。最初は年相応の物忘れ程度だったのが、徐々に悪化していきました。元気な頃の祖母を知っていただけに、何でこんなふうになっちゃうんだろうという気持ちのほうが大きかったですね。
それがキッカケになったのかは分かりませんが、高校の頃には漠然と福祉の道を考えていました。
▲ナイロン製のエプロンは、入浴介助のケアで使用するという。
―そのまま介護の世界を選んだのですか?
森田さん:いえ、違いますよ。最初は福祉関係の学校で、知的障害児を専攻していました。その頃、老人介護の道に進む気はなかったですね。
―老人介護を選んだ経緯は?
森田さん:学校の先輩が筑波メディカルセンター病院に就職していて、私も老人介護に興味を持つようになりました。就職する2年ほど前には叔父がこちらの病院に入院していましたから、お見舞いで訪れたことがあるんです。そのとき病院の印象が良かったのは、決めるポイントでしたね。結局のところ、就職活動で介護職を受けたのは筑波メディカルセンター病院だけです。それから早9年が経ちました。
―9年ですか。では、その間にあった介護業界の変化も見てきたんですよね。
森田さん:そうですね。昔に比べると、今は小さい子どもでも分かるくらい、介護に対する認知度が高まってきているのではないでしょうか。私が子どもの頃は介護の存在すら知らず、まさか自分が今の仕事を選ぶなんて思いもしませんでした。
子どもたちは将来の夢を聞かれると、看護師さんや保育士さんなどをよく挙げますよね。それと同じように、ヘルパーが子どもたちの憧れる職業になれば嬉しいです。
(2) 病院での経験を在宅ケアに活かす。
▲スタッフとランチをとる森田さん。いつも手作りお弁当なのだそう。
―こちらの事業所の形態について教えていただけますか。
森田さん:はい。私たちの事業所は、「財団法人 筑波メディカルセンター」が運営しています。ヘルパーステーションの他に、訪問看護ステーション、デイサービス、居宅介護支援事業所もあり、病院やこれらの在宅部門との連携を積極的に進めています。
当院の介護職は、「介護・医療支援部」の存在が少し特殊かもしれません。病院介護課と医療支援課、私が所属する在宅サービス課の3つに分かれているんです。在宅と病院の間で職員の異動がありますから、どちらでも介護の経験を積むことができるなど様々な医療現場に関われるメリットがありますね。
―森田さんは、いつから事業所のほうで働いているんですか?
森田さん:在宅は1年8ヶ月前からです。それ以前は、7年ほど筑波メディカルセンター病院で介護職員をしていたんですよ。脳外科病棟に2年半在籍したあと、がんセンターの外科、緩和ケア病棟で介護を経験しました。
ある程度は院内での経験を積んできたところだったので、異動命令はすんなりと受け入れることができました。ただ在宅と病院は環境がまったく違うから、少しだけ不安な気持ちはありましたね。
▲筑波メディカルセンター病院にて。入院する利用者さんの様子を看護師さんに伺う森田さん。
―在宅と病院ではケアの仕方も違うのでしょうね。
森田さん:技術的には、それほど違わないと思いますよ。生活や食事、排泄のケアなどは、どちらにも共通していますしね。在宅と病院では役わりの違いが挙げられるでしょうか。例えば、病院は医師や看護師、介護職員とそれぞれの持ち場で仕事を行いながらも、連帯感があります。一方、在宅のヘルパーは1人で訪問介護を行うことが大半です。利用者さんに対しても、病院は複数人で関わり、在宅の現場は1対1の付き合いになりますから。
―病院での経験が在宅に活かされているのは、どんなことですか?
森田さん:がんセンターに併設されている緩和ケア病棟での介護経験です。緩和ケア病棟では、できる限りご本人のペースで過ごしていただくため、ご要望に添えるようなケアを行ってきました。「治療」より「生活」を重視し、患者さんやご家族の生活を支えるお手伝いをするという面では在宅での介護サービスに近く、今に活かされているのかもしれませんね。
入院されている方は、在宅よりも介護度や医療依存度が高く年齢層もさまざま。ですから病院で培ってきた沢山のケアの経験は、今の現場でのケアにつながっていると思います。