(3)最初、異動は希望しなかった・・・でも今は。

▲昔の同僚と談話するひと時。
―病院勤務で、つらかった事はありますか?
森田さん:何度かありましたよ。一度目は勤め始めたばかりの頃です。福祉関係を学んだとはいえ知的障害児の分野を勉強していたから、老人介護の知識は全くありませんでした。周りに比べたら出遅れていたので、仕事をしながら勉強する毎日。指示されたスケジュールを時間内に終わらせる事もできませんでした。仕事を頼まれたら断れないし、作業はどんどん溜まっていく一方。思いどおりに仕事が進まなくて、苦労もしましたね。このときは「一生懸命やっていれば、必ず見ていてくれる人はいるから」と、病院の患者さんに声をかけていただき頑張れました。病棟での経験から、医師、看護師、MSW(メディカルソーシャルワーカー)、リハビリテーション療法士など、さまざまな職種の業務や、そういった職種の方と連携することを学ぶことができました。そして、ようやく全体の流れを把握して動くことの大切さに気付いたんです。分かったときには、自分が少し成長できたようにさえ思えましたね。
2度目は介護業界が世間的に騒がれていた頃で、経営や利益について考える機会がありました。誰かの役に立ちたいという思いはあったけれど、何のために働いているのか仕事への価値が見出せない時期でした。その時は一緒に働いていた仲間たちと励まし合ったことで、考えを切り替えられました。
振り返ると、私はずいぶん周りに育てられてきたと感じますね。
▲ケアマネージャーと打ち合わせ中の森田さん。
―病院の介護職は、在宅のヘルパーとまた違った難しさがありそうですね。
森田さん:そうですね。病院の介護職は大変でした。だけど勤務年数が浅い頃の私は、病院の仕事に追われていても在宅に異動したいとは思っていませんでしたよ。
―それはどうしてですか?
森田さん:就職したてで介護の知識がなかった私にとって、ヘルパーは責任が重い仕事だと感じていたからです。病院勤務の頃に初めて在宅ケアの現場を見て、訪問介護はヘルパー自身の判断力と利用者さんからの信頼感がとても大切だと知りました。病院なら分からないことがあれば傍で教えてもらえるし、困ったときには周りのスタッフが助けてくれる。もちろん病院だって大変なところはありましたが、駆け出しの私には、介護の勉強をしたい気持ちと誰かを頼りにする甘えのようなものがあったと思います。きっと何もできない自分に自信が持てなかったのでしょうね。
▲若手スタッフと翌月のスケジュール調整を行う。
―いまは異動して良かったと思いますか?
森田さん:良かったです。今のところ、病院に戻りたいとは思いませんね。病院が嫌なわけではないですが、ようやく在宅介護の仕事が分かり始めたところですから。
それに病院の三交代勤務に比べると今は日勤のみですから、もっと介護の勉強をしたりプライベートを充実させたりとライフスタイルを整えていきたいですね。
―今後、したいことは?
森田さん:スタッフが仕事をしやすいように、事業所の環境を良くしていきたいです。異動して来たばかりの私は在宅ケアの初心者にも関わらず、先輩のヘルパーに指示を出す立場でした。ヘルパーは様々な年齢層の方がいます。だから余計に、全員が協力し合える事業所にしたいって思いが強いのかもしれません。
自分自身の学びを深めることはもちろんですが、若いスタッフも大勢いるのでヘルパーの人材育成を図りたいです。そうして専門性を高めながら、介護に関わる様々な職種の方や地域との連携を深めて、利用者さんに満足していただけるサービスを提供していきたいと考えています。そんなふうに、一つ一つ色んなことを経験していきたいですね。
(4)日常での小さな関わりの大切さ、改めて感じました。

▲病院近くにある展望塔が目印の松見公園まで、患者さんを連れて散歩に行くという。
―これまでのお仕事の中で、もっとも印象深い出来事は何でしょう?
森田さん:病院勤務のとき、緩和ケア病棟で出会った方がいちばん印象に残っています。
その方は50代の女性(以下、Aさんと表記)で、体を一切動かせない寝たきりの状態でした。座位にも側臥位(そくがい)にもなれず、常に同じ姿勢。骨転移があったので、ベッドに伝わるわずかな振動や触れられることで苦痛を伴いました。
あれは確か秋か冬の季節で、青空が空一面に広がる良いお天気の日でした。
私はケアがひと段落し、普段と変わらない調子でAさんと他愛無い会話をしていました。話をしながら何気なく窓の外に目をやると、遠くのほうに筑波山がくっきりと鮮やかに見えていたんです。空気が澄んでいたのでしょうね。本当にきれいな山でした。
▲病室の窓から遠くに見えるのが筑波山だ。
Aさんは緩和ケアの病棟に来て以降、ずっと同じ向きで同じ方向の風景しか見られないでいました。だから、その日のきれいな山をどうしても見てほしいと思ったんですね。
筑波山は「西の富士、東の筑波」と言われる日本百名山の1つで、地元の人も昔から親しみを持っている山なんです。だから、Aさんもきっと喜んでくれるんじゃないかと思って。
でもAさんの寝ている枕元からは、どうやっても筑波山が見えません。良い方法はないものかと考えていると、ちょうど良さそうな手鏡がありました。そこで鏡に反射させた山をAさんに見てもらうというアイディアが浮かんだんです。私は窓のあたりで体や腕を伸ばし、鏡の中に筑波山が収まるよう奮闘しました。すると鏡には筑波山が映りこみ、Aさんも目にすることができたんです。
―Aさんの反応は?
森田さん:初めのうちこそ、久しく見ていなかった筑波山の風景に喜んでくれましたが、思うところや感じるところがあったのでしょうね。鏡に映る山を見ながら、ポロポロと涙を流し始めたんです。この出来事は私にとって、すごく衝撃的でした。ちょっとした行動でも、人によって受け止める大きさが違うと気づかされましたから。小さなことの大切さは知っていたつもりでしたが、実際にAさんの心が揺れる様子を目の当たりにして改めて実感しました。
Aさんと関わった1年近くの間には、いろんな出来事や思い出があります。その中でも、Aさんと一緒に見た筑波山は、特に印象深く私の中に刻まれている気がするんです。これからも筑波山を眺めるたびに、私はAさんとの出来事を思い出すでしょうね。
▲利用者さんやそのご家族の方との連絡に使っているという森田さんの便箋。
―介護職が天職だと思ったことはありますか?
森田さん:一緒に働いていた看護師さんに「介護職が天職だね」と言われて、そうなのかな~と何となく思ったことはあります。ふとした会話の中で突然言われたので驚きましたが、自分の仕事に対して天職だと言われたから、やっぱり嬉しかったです。
自分のことって意外にわからない。だから周りの評価によって、自分の立ち位置を確認している、そんな気がしますね。
■編集後記
▲ヘルパーステーション ふれあいのみなさん。
科学万博(つくば‘85)をキッカケに設立された筑波メディカルセンター病院。そこで森田さんが介護職員として働いていた頃、教育を担当していた後輩スタッフに話を伺うと、「森田さんは、とても親切な先輩です。丁寧にいろんなことを教えてくれました」。照れながらも、こう話してくださいました。
後輩スタッフの相談に耳を傾け、ヘルパーと打ち合わせをする表情。看護部やケアマネージャーと連携する姿。キャラクターグッズが好きなスタッフのために、応募シールを集める様子。森田さんの一日を追っていると、働きやすい環境にしたいという考えは、その所々に表れているようでした。
取材班の要望に応えてくださった筑波メディカルセンター病院とヘルパーステーションふれあいのみなさまには、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
「へるぱ!」運営委員会一同