(1) 相棒は、トロトロだけど可愛い赤バイク
▲バイクの鍵が沢山並ぶ玄関付近。
―本当に明るくて賑やかな事業所ですよね。
山崎さん:ひっそりと経営しているので、初めて来られる方には「入口が分からない」とよく言われます。大きな看板を出しているわけでもないですしね。駐車場の奥にこんな事業所があるだなんて、誰も思わないんでしょうね。でも、中に入ればご覧の通り。開放的でとても明るく、いつも笑いがいっぱいなんですよ。これでも今日は静かなほうですけれどね。
―では、普段はもっと賑やかなんですか?
山崎さん:そりゃぁ、もう(笑)。スタッフが全員揃うと収集がつきません。
―入口にバイクが数台止まっていましたが?
山崎さん:この辺はバイクがないと仕事になりません。何せ坂ばっかりだし、裏道ばっかりだし。昔の村の名残なのか、道幅も狭いですしね。だから軽自動車でも入れない道が結構多いんですよ。たとえ入れる道であっても、途中離合できないとか、駐車スペースがないとか色々と問題があるんです。それに次から次に訪問しなきゃいけないので、自転車では間に合いません。そんなことを総合して考えると、バイク以外の選択肢がないんですよね。
―玄関横に停めてあったピンクのバイクに乗っていらっしゃるんですか?
山崎さん:あのピンク色のバイクは社長専用機で、私の相棒は赤のバイクです。バイクは私たちにとって移動手段であると同時に、とても大事な仕事道具です。だからスタッフが気持ちよく、楽しくなるように、乗る責任者のキャラクターに合わせて色違いで揃えました。だから、全員のバイクが揃うとカラフルですよ。でも、全部が揃うのは月に一回の会議の時くらい。それ以外の時はみんな出払っているので、1台か2台くらいしか停まっていませんけれどね。
▲訪問時に持参するバックもバイクと同じ赤色。
―どのバイクもスタッフと共に頑張っているんですね。
山崎さん:そうですね。でも、50ccのバイクでは頼りないこともありますよ。
―それはどういうことですか?
山崎さん:50ccの原付バイクだと時速30kmが限界。それ以上のスピードで走ったら捕まってしまいます。だから、ちょっとスピードの出る自転車にはさっさと抜かれてしまうんです。悲しいくらいにトロトロ運転なんですよね。もちろん、スピードを出そうと思えば時速60kmくらいは出ます。けれど、そういうわけにもいきません。
▲相棒の赤いバイクにまたがって利用者さん宅を訪問する山崎さん。
それに、介護は待ってくれませんからね。のんびりしている暇はありません。そんな状況下で介護度の高いご家庭ばかりをいくつも訪問するのは難しいことです。だから、今は中型バイクの免許が欲しいんですよね。それに格好いいでしょ。400ccのバイクで訪問に行って、颯爽と「ピースケアの山崎です!」と言うのって(笑)。
―確かに格好いいですね。それに、山崎さんらしい気がします。
山崎さん:二種免許は必要に迫られて取りましたけれど、中型バイクは違うかな?まぁ、もともと運転をするのは嫌いじゃないですし、免許はあって困るものではないですからね。時間を見つけていつか取りにいきたいと思っています。
(2) 私は、私らしく。
▲この日の訪問スケジュールを確認する山崎さん。
―このあたりはファミリーで住むようなイメージがありますが?
山崎さん:大阪駅から15分くらいの吹田市は、住宅街として結構人気のある地域です。だから、ファミリー世帯は確かに多い。でも税金も高いし、水道代も高い(笑)。そして、高齢者の独居も意外と多いんですよ。
―そうなんですか?
山崎さん:ええ。千里のほう(大阪でも大規模の部類に入るベッドタウン)まで行くと、もっと多いんじゃないですかね。吹田市・池田市・豊中市をはじめとした北摂地域は大阪国際空港、千里ニュータウン、万国博覧会など国家レベルの大型プロジェクトを契機として開発が進んだ地域です。だから、昔はとても賑やかな場所でした。けれど、今はみんな外に出て行ってしまっていますしね。お年寄りだけが取り残されているケースも少なくありません。
―そう聞くと、高齢者が暮らすには厳しい地域のように思えますが?
山崎さん:一概にそうとも言えませんね。この辺りは、全国的に見ても子どもや老人の福祉が比較的充実しています。福祉・保健・医療や、教育・文化・住宅・環境などの分野において、国や他地域に先駆けて様々な行政サービスを実施してきた経験もある地域ですからね。まぁ、まだまだだなぁと思うところもありますけれど、考えようによっては一般的な地域と比べて暮らしやすい地域なのかもしれません。
―訪問先は吹田市内だけなのでしょうか?
山崎さん:いいえ。吹田市はもとより、その周辺地域にも伺います。私たちの事業所は全体の9割が身体介護、特に重度の利用者さんが多いですからね。そういった方々に対応できる事業所はまだまだ数が少ないので、必然的に移動距離は長くなります。
―それはかなり広範囲ですね。
山崎さん:吹田市は南北に細長いので、その端から端まで動くだけでも結構な距離です。それに、千里ニュータウン(吹田市と豊中市をまたぐ千里丘陵に存するニュータウン)と吹田市の旧市街とでは気温の変化が明らかに分かるくらいの高低差がありますからね。縦にも横にも上にも下にも動くので、スタッフの移動距離はかなりのものです。でも、現在の事業所がある岸部あたりはちょうど吹田市のおへそに位置しますから、どこに移動するにも割と便利がいいんですよ。
―毎日、その距離を移動なさるんですね。
山崎さん:ええ、もちろん。実際の距離だけを考えれば遠いけれど、利用者さんとの心の距離だと思えばね、長い道のりも何てことはありません。高齢者が自分らしく暮らしていくためには、私たち介護従事者の手が必要になることが多い。だから、私は私らしく、利用者さんに喜んで頂けるサービスを提供していたいと思っています。
(3) お年寄りが大好き。だから、この世界に入りました。
▲訪問が続く山崎さん。自分のデスクにゆっくり座る暇がない。
―そもそも、「介護」に興味を持ったキッカケは何ですか?
山崎さん:母が看護師だからでしょうか。介護や看護だけに関わらず、福祉に触れる機会は子どものころから多かったように思います。小学校の頃に手話をやったり、高校時代の夏休みにボランティアに参加したりするのは割と自然なことでしたね。
―その延長上に「介護」の仕事があった、ということですか?
山崎さん:そんな気がしますね。
―では何故、「高齢者介護」を選ばれたのですか?
山崎さん:子どもの頃からお年寄りが大好きだったんですよ。ただ、それだけ(笑)。高齢者のみなさんは人生の大先輩。だから本当に何でも知っています。それを教えてもらったり聞かせてもらったりするのが面白いし楽しくって。それにご高齢の方って、優しいですしね。だから、高齢者と接点を持てる場所に居たかったんですよ。それで介護職がいいなと。現場で高齢者と接しているほうが私の性分にも合いますしね。
―学生時代もずっと介護や福祉の勉強をなさっていたんですか?
山崎さん:いいえ、そうでもありません。高校は普通課でしたし。高校を卒業して介護福祉の専門学校に2年間通いましたが、その後すぐに結婚し、1年ほど家庭に入っていました。勤めに出るようになったのはその後です。周囲より出遅れていましたからね。そのブランクを取り戻そうと、当時は必死でした。でも、そんな毎日の中で私なりに分かったことがありました。卓上の勉強も確かに大事ですが、日々の実務の中にこそ学ぶべきはあるなぁと。だから、社会に出てからのほうが勉強している気がしますよ。
―今の事業所で勤務される前は?
山崎さん:施設にも勤めましたし、他の事業所に勤めたりもしました。最初は認知症の方ばかりの老健(老人保健)施設でしたね。当時はまだ「認知症」という名前ではなく、別の名前で呼んでいました。鍵と鉄格子に囲まれて、何とも独特の空気のある場所でしたよ。そこで2年ほど勤めました。
▲利用者さんに到着時間を伝える山崎さん
―そこをお辞めになった理由は?
山崎さん:子どもを預けていた保育所の閉鎖が原因です。その保育所は病院内にあり、私のような働くお母さんたちの強い支えでした。病院の職員が利用することもあり、夜勤の時も日曜出勤の際にも、保育所は24時間・365日、子どもを預かってくれていましたからね。だから私は働いていられたんです。ところが、採算が合わないのか、その保育所の閉鎖が決まってしまって・・・。保育所に子どもを預けられないとなると、夜勤は難しい。昼間しか働くことができません。それで最初はやむを得なく「在宅」を選んだんです。
―施設勤務から在宅勤務に変わって、戸惑いはありませんでしたか?
山崎さん:ありましたよ。同じ介護とはいえ、施設と在宅ではまったく違いますからね。最初は何も分からなかったし、経験のないことばかり。利用者さんのご自宅をお掃除するのが仕事だと言われても、どうにも腑に落ちなくて。毎日毎日「何で?」「どうして?」の連続で、本当に苦しみましたよ。特に、最初に勤めた在宅の事業所では生活援助のサービスが多かったので、戸惑いは大きかったですね。
―現在の事業所で勤めるようになったのは?
山崎さん:私が24歳の時に今の事業所が立ち上がり、立ち上げスタッフとして働くことになったんですよ。今の事業所はほとんどが身体介護で、利用者さんは比較的介護度の高い方ばかりです。だから生活援助は清拭や入浴介助、通院介助のついでの業務になることが多く、家事全般がメイン業務になることはありません。けれど、これまでの経験が様々なシーンで役立っているのを実感しています。