介護の仕事に就くきっかけとは
何か人にためになる仕事がしたい、とずっと思っていました。
今日の予定を書き込みつつ、他のメンバーの稼動もチェック!
―OLをしていた時代もあるという梅田さんですが、このお仕事につかれたきっかけは何だったんですか?
学生の頃から何か人の役に立てる仕事ができれば・・・という漠然とした思いがありました。でも、具体的にその思いに直結する職業がどんなものなのか分からず、普通に就職して事務職などをしていました(笑)。その後、結婚出産し、子育ての合間に「少しの時間で人の役に立てることって何だろう?」と改めて考えていたときに祖母から社協での仕事を紹介されたんです。これもご縁だなと始めたのがきっかけです。
大事なことは赤ペンでみんなの目に留まるよう記してあります。
―実際始めてみてどうでした?
その時は、介護というより部屋の掃除や片付けといったお手伝いがメインだったんですがそれでも「あっ!これだ!!」という手ごたえを感じて、天職と思えたんですよね。
梅田さんの信条や心がけていることが壁に貼ってあります。
―“天職”だと思えたのはどういう部分ででしょう?
私が高齢者の方の助けになる一方で、逆に教わることもすごく多かったんです。経験を積んだ大先輩ですから。また、高齢になると肉体的に衰えて出来なくなることが増えていきますよね? けれど「昔はこうだったのよ」「こんなことも出来たのよ」というお話をうかがっていると『歳をとる』ってこういうことなんだ、と現実を直視させられた気がしました。その瞬間、私たちが支えにならなければ! という強い気持ちが芽生えたんです。
デスクには愛すべきお子さんの写真が!3人のママでもある梅田さん。
―ゆくゆくは自分も老人になり、人の助けを借りなければいけない状況がやってきますものね。
そうそう。だからこそ、世代世代で支えていかなければいけない、ということを実感しました。その後、社協さんから資格を取得してみては?
と勧められて、仕事の幅も広がるはずだからと、トライしてみようと思ったんです。
―ヘルパー2級の資格を取得されて、今までお手伝いだったところから、介護と本格的に向き合うようになって、何か気持ちの変化とかありましたか?
気持ちの変化、というよりは介護保険で決められた「出来る」「出来ない」の縛りには戸惑いました。例えば、ご利用者さん宅の電球が切れたとします。でも、ヘルパーが頼まれて『電球を替える』という行為はNG。『環境を変える』のであればOK・・・と介護保険ってとても複雑なんです。じゃあ、独居の方であれば電球が切れたまま暮らすの?っていう話しにもなりかねない。介護保険の枠以外で、ご利用者さんが本当に困っていることっていっぱいあるのにな・・・と、もどかしい気持ちになることがありますね。
―そんな判断の難しい場面に直面された時、梅田さんはどうされているんですか?
私の信条は『NOと言わない』ことなんです。常に「出来る」ことは何かないかを考えます。近所や地域の力を借りたり、私が過去働いていた社協のお手伝いさんに頼るなど、様々な可能性を探ります。その点の努力は惜しみません。