試行錯誤の日々
いいものをつくっていきたい、その一心でした。
玄関側にあるベンチ。日向ぼっこしたり、外を眺めながら休憩したり・・・用途はさまざま。
―介護に興味をもたれたきっかけが、中学生のときに参加したボランティアだったとか?
はい。自分の通学途中に老人ホームがあり、そこの窓拭きを手伝いに行ったんです。そしたら部屋にポツンとご老人がいらっしゃって、その方が畳の一箇所をずっと食べているんですよ・・・。今思うと認知症の方だったのでしょう。私はおじいちゃん・おばあちゃん子で元気な老人の姿しか目にしたことがなかったので、その光景はとても衝撃的でした。「なぜこの人は一人なの??」とすごく不思議で。そうした疑問が介護を意識するはじまりだったのだと思います。
ガラス張りの玄関は外からやさしい光が差し込む。みんなの語らいの場。
―その経験を通して介護に興味をもたれてからもよくボランティアに参加されたり?
高校では医療のボランティアに参加しました。母親が看護師だったので、その方面にも興味があり…。母親の勤める病院で看護助手のサポートをさせていただいたのですが、老人ホームでボランティアしたときの感触とは何かが違うんです。同じお手伝いでも、介護は支えてあげる、そっと側にいるような感覚だったのが、医療の現場は何だかせわしない…。もちろん看護師さんは命を助ける!というところで必死にやっていらしたんだと思うんですけれど、私が求めていた場所とは違ったんですね。やはり一番心惹かれた介護の道に進もうと決心し、介護福祉士の資格が取得できる学校へと進学しました。進路の先生からは「なんで介護なの?」と、違う進路をすすめられたりもしましたよ(苦笑)。
―介護に対する一般的認識がある今ならまだしも、介護という言葉が走りはじめた当時で、強い意思をもって介護に進む選択をした竹島さんのようなケースはきっと珍しかったのだと想像します。実際資格を取得され、最初に就職したのが、ここ『聖母の会』とうかがいましたが・・・。
この『集合住宅シルバーピア』ではなく、当時新設されたばかりの『特別養護老人ホーム』にです。先ほども話題にでましたが、私が介護職についた20年前は介護に対する体制ができ始めたちょうど転換期でもありました。今のようなマニュアルもなければ、周囲に似たような施設もなく、見習うべき対象がないなか、本当に日々試行錯誤でしたね。スタッフ一同「いいものをつくっていきたい!」その一心だったと思います。大変でしたけれど、同じような考えの人たちが集まっていたので、頑張れた6年でもありました。
夜勤明けスタッフからの引継ぎ作業やこれから業務を開始する人で朝のステーションは大忙し。
―すでに内部の体制が整った場所に入るのとは違って、新設ならではの苦労もあると思うのですが、例えばどんなことがありましたか?
そうですねぇ。基本的な技術が身についた3年目のときに介護現場で「なんで?」と疑問に思う場面が増えてきて。先輩方に質問しても求める答えが返ってこず、自分のなんで?が解消されない壁にぶちあたりました。みんなで会社をつくりあげていく状況だったので、人に教える、指導するといった余裕も上の方にもなかったんだと思うんですよ。とはいえ、分からないことをそのままにもしておけず、病院の精神科にアポなしで教えてもらいに行きました!
外部スタッフと連絡を取りながら対応指示を出す竹島さん。ひっきりなしに電話がかかってくる。
―アポイントなしに突然ですか!?
はい。休憩時間に行けば大丈夫だろうぐらいの感じで突然訪問を(苦笑)。対応していただいた先生が本当に優しい方で、無謀な私に丁寧に教えてくれましてね。それから1年、月1のペースでお邪魔して、分からないことを都度教えてもらいました。それを介護の現場に持ち帰って、他のスタッフに共有したり…。今思うと周囲のことも考えず、ずいぶん勝手な行動をしたもんです。もし同じことをするスタッフが今いたら「なんで私に相談しないの?」と言うでしょうね(苦笑)。
竹島さんと所長である井上さんとの2ショット。笑顔がステキです。
―そのとき感じた「知りたい!」という欲求はものすごいパワーだったのでしょうね。実際、どんなことを教えてもらったのですか?
痴呆性老人とは?から始まって、薬の作用について…などです。夜勤で看護師の方が眠剤を扱うとき「今日はなし、今日は半分」なんていう会話があった時には「どうして日によって調整する必要があるんですか?」と質問したりして。先生はわざわざリストや冊子みたいなのをつくって説明してくださったり、本当に色々なことを教わりました。
会社のシンボルでもあるマリア様の像。その横には、保育園がある。
―介護に対する飽くなき探究心や熱い思いがあるからこそのエピソードですね。そこからさらに2年働かれて退職されたあと、ずいぶんブランクが空かれてからの介護職復帰と伺いましたが。
母親が体調を崩したので介護をする理由と結婚を機に退職しました。その後子育てに専念していた時期が6年ほど。メディアを通して介護保険制度の変化については目にしていましたが、どこか遠い話で関心も特にありませんでした。でも、ある方からここシルバーピアをやらないか?と何度もお誘いがありましてね。しかも、ここ1棟まるごと、っていうんです。「えっ?1棟ってどういうこと?」ってそこからですよ(笑)。ましてや施設経験はあっても集合住宅でヘルパーやサ責とか想像のつかない世界。何度もお断りしたんですけれど、そのたびに足を運んでいただいて。その熱意と、やはり自分のなかに老人介護という現場へ戻りたいという思いも強くあったんです。そこで、無理のない範囲でトライしてみよう、お引き受けした当初はそれぐらいの気持ちでした。そしたらもう!!本当に大変で。。。ここに来た当初は辛い思い出ばかりですよ。