母の介護する姿に憧れて。特養での7年間
ご利用者さんが望むことを実現するための提案は積極的にしていました。
老人ホームの施設棟。後ろにうつっているのは三原山。
―浅沼さんが介護のお仕事を初められたきっかけは「祖母の介護をしている母の姿をみて」と伺いましたが。
そうなんです。母がおばあちゃんの介護をしている姿を間近で見ていて『すごく大変そうだけれど、楽しそう』って思えたのがきっかけです。母が介護するなかで祖母が「ありがとう、ありがとう」と嬉しそうにしていたのが印象的で、何だか奥が深そうだ…と私なりに介護について調べてみたんですよ。そしたら想像以上にやることが多いのでびっくりしました。
島ならではの光景が。ハイビスカスや街中ではヤシの木も見かけられる。
―「楽しそう」と興味を抱いたことから介護のお仕事に?
そうですね。ずっと心の片隅に介護に対する想いがあって、たまたま子育てが一段落した際に、ここ養和会のパート募集を見かけて、いくしかない! とすぐに応募しました。
事業所入り口からは施設内を一望できる。その先には海が。
―実際働かれてみて、介護に対してどんな印象を受けましたか?
正直、自分なりに思い描いていた介護イメージとはギャップがありました。実際現場ではご利用者さんのペースで、というより、ワーカーよりの介護になりがちで「何でこんなに急ぐんだろう?」「もっとご利用者さんの話しを聞いてあげられたら…」と思うことも多くありました。決められた作業フローをこなすことに毎日精一杯で、スタッフ側にも余裕がなく、ついつい流れ作業になってしまっている部分があったんだと思います。もっと、ご利用者さんのペースで対応できたら、という葛藤は常にありましたね。
訪問に出かける浅沼さん。バッグ1つで身軽に事業所を飛び出ていきます。
―浅沼さん自身改善しようという試みはされたり?
例えば、ある一定の時間になるとトイレに行列ができてしまうんです。これはトイレの時間が決まっているからその時間帯だけ混雑してしまう、という現象なのですが、普通でいえばおかしな話し。ご利用者さんが行きたい時に行けるよう、せめて混雑しないように改善しましょう、と上司に持ちかけたこともありました。でも、実際やるには、全体の業務の流れを変えることになるから、今すぐは厳しい…という判断で、改善できないもどかしさを噛み締めたことも。それでもめげずに色々提案をし続けました。
島での訪問は車が必須。ご利用者さんのお家までの地図をばっちり頭に入れて。
―例えば、他にどんな提案を?
“お料理クラブ”というのを提案して、これは実際に開催しましたね。シチューやクレープなどをみんなで作るんです。許可をいただくまでに数ヶ月かかりましたが、最終的にはスタッフ総出の楽しい行事となりました。また、ご利用者さんと一緒にお出かけすることもよくしましたね。「フリージアが見たいわ」というご利用者さんがいらっしゃれば、上司に許可をいただき、お花見を兼ねつつ車でフリージアツアーに。他には、空港のカフェにお茶しに行ったり、外食したり…。ご利用者さんにとって外出はいい気分転換でもあり、ほっとできる瞬間なのだと思います。とても嬉しそうにされる姿を見て、私も実現できることはどんどん提案していこう! というスタンスでいました。
ご利用者さんのお宅に到着。とにかくいつでも笑顔の浅沼さん。
―出来ること、出来ないことはありつつも、浅沼さんなりに色々ご利用者さんのことを考えて行動されていたのですね。
そうですね。5年目ぐらいにパートから社員になって自分が担当するご利用者さんができたことが大きかったです。一緒にいる時間を少しでも多くつくって、ご利用者さんが望むことを聞いてあげたいなって。
―担当されたご利用者さんのなかで印象的だった方はいらっしゃいますか?
私のことを「お母ちゃん」って呼ぶご利用者さんがいるのですが、その方、入所当初は軽かった認知症症状がだんだんと進行していくにつれ、ご本人も分かるんですよね。「なぜだか忘れてしまうのよ…」「昨日何食べたっけ?」って。不安になると「どうしよう、どうしよう」って、私に助けを求めにくるんです。だから私は、やったことをカレンダーに書きましょう、と提案しました。実際したことを記録したカレンダーを見ながら「昨日はこれを食べましたね」と会話することで、その方の気持ちもだいぶ落ち着かれたんです。笑顔で「ありがとう、ありがとう」と言っていただいた時には、何よりも嬉しく頑張る力につながりましたね。