永楽荘での13年間
いかに自分が、多くの人に支えられて生きてきたかを実感したんです。
事業所の目の前は神社。オレンジの鳥居が眩しい。
―ここヘルパーステーション「ロングライフ」が出来て約半年。立ち上げメンバーと伺いましたが、ここで働かれる前はどこで何を?
地元で老舗の永楽荘という大きな事業所で13年間働いていました。最初は特養で10年間、その後ヘルパーステーションに移動して3年間。そこで得た介護経験と人との出会いは、私にとって今でもかけがえのないものです。本当に大好きな職場でした。
身なりを整えることもご利用者さんと会ううえで大事、と廣田さん。
―実際にそこではどんなお仕事をされていたのですか?
特養では、おむつ交換から食事介助や入浴介助など介護にまつわる全般を担当していました。毎日がものすごいスピードで過ぎていくなかにも、各スタッフ、空き時間を見つけてはご利用者さんに寄り添って話しを聞いて同行したり…。どうしたらより良いケアを提供できるんだろう? という会議もよくしていましたよ。
事業所内で廣田さんが履いているスリッパはキティちゃん。
―とても意欲的な現場だったのですね。その後ヘルパーステーションにうつられたのは異動で?
いや、特養で10年目の時に大病を患いまして、手術をしたんです。その時、精神的にも体力的にも落ちて、無気力状態が数ヶ月間続いたのですが、その時に何よりも励まされたのが、人の温かい声かけでした。なかでも同じ病室で入院していた時に知り合った方には本当に助けられました。「たこ焼き食べたい」という私の一言で、美味しいと評判のたこ焼きを旦那さんに頼んで差し入れしてくれたり。今でもその方とは連絡を取り合う仲なんですよ。他にも永楽荘の仲間や友人…本当に色々な方から元気をもらって、その時いかに自分が多くの人に支えられて生きてきたかを実感したんです。みんなに対する感謝の気持ちとともに、やっぱり私は人と関わる介護の仕事が好きなんだということにも気づかせてくれましたね。そこで、また頑張ろう! と決意を新たにしました。
資料に目を通すスタッフとは、永楽荘時代からの長年のお付き合い。
―それで現場復帰する際には、ヘルパーステーションで、ということになったのですか?
はい。力仕事の多い特養だと体力的に厳しかったので、訪問と訪問の間に休憩もあるヘルパーステーションであれば自分の体調も整えやすいだろう、と。施設長の配慮で現場復帰できたこと本当に有難かったですね。療養中にみんなからもらったパワーや想いに精一杯応えていきたい、その気持ちが今の私のバイタリティにもなっています。