保育園、母子生活支援施設の保育士兼相談員、障害児療育、そして高齢者介護へ
人生観が変わるほどのやりがいを感じました!
きたざわ苑は、特養・ショート・通所、居宅支援、訪看、デイ、配食サービスが併設された複合施設で4階建て。
―介護のお仕事をされる前、保育園や障害児療育などのお仕事に携わっていた時期があったと伺いました。そこから介護のお仕事を始められるようになったきっかけとは?
保育士としての保育園時代は、今から思えばお蔭様で、「先生、先生」と子どもたちやお母さんたちからも、頼りにされ、多くの支援をいただきました。そこで、自分なりのレベルアップとして、母子生活支援施設を選択し、相談業務もかねた保育士の仕事に就いていたのですが、その当時、結婚も育児をしたことがない私がどうしてもお母さんたちの気持ちに寄り添えないもどかしさがあって。「子育てしたことない、結婚も離婚もしたことのないあなたに、この気持が分かる?」というような声と、特に精神疾患を抱えた利用者さんとは、信頼関係がなかなか構築できないケースも出てきたんです。そうした理由もあり、一旦保育士を辞めて、次に選んだのは、小学生の頃から宮城まり子さんの「ねむの木学園」に興味があった、障害児療育の現場で、非常勤で働きはじめました。その時にはすでに結婚して子供もいたし、舅や姑とも同居していたので、人生経験も多少豊かになってきて、独身時代のもどかしさはクリアしていました。と同時に、主人が自営業の肉屋で、2000年の結婚直後からの狂牛病のあおりから、経営がうまく行かず、家庭事情もかなり切迫していた時期でもあったため、何とかして常勤でしっかり稼げるぐらいに働かなければいけない、と。まずは自分にできることから、ステップアップも兼ね、ヘルパー2級の受講をしたんです。でも、当初私は障害児療育から、障害児介護もできるようにという目的で受けたので、高齢者介護には全く興味はなくて…。むしろ高齢者に関わる機会はなかったので想像がつかず、「高齢者に携わることはありえない」とさえ思っていたぐらい。実習も「障害関係だけでお願いします」と頼んだんですよ。
1階に設けられた休憩・談話スペースは広々とした空間に設置されている。
―それがなぜ?
ヘルパー2級の資格取得の実習で、1日はどうしても高齢者介護に行かなければいけず、仕方なく「老健」に行ったら「あれ?」ですよ(笑)。スタッフの皆さんが素晴らしい施設で、今までの概念をくつがえされた感じでした。ご利用者さんが入退所するたびに、受付や掃除スタッフに至るまで「よく来ましたね、よろしくね」と言った声かけがあって、スタッフ全員でご利用者さんのことを考えている、そのトータル的な雰囲気の良さに心打たれたんです。また、実習のなかで、何人かのスタッフから「前からこの仕事をやっていたの?」と声をかけられ、それぐらい違和感なく馴染んでいる自分にも気付いたんです。よくよく考えると、療育でのチームワークな動きや、保育園での「体操しますよ~」といった、大勢を束ねた指導が、高齢者サービスのチームケアやレク活動のリーダーシップと通じており、高齢者施設は、今まで自分が積み重ねてきた経験が活かされる場でもあったことに気付かされました。挫折して辞めた仕事も、実は無駄なことは何もなかったと気付かされ、すごく嬉しく、療育と掛け持ちで、空いている日は、高齢者介護で働こうと決心しました。
機能訓練指導員が個別に合った訓練を作成し、ご利用者さんのペースにあわせて行う。
―今まで「無理」と思っていたことに楽しさを見出し、働こうと思えたのは、すごく大きな変化ですね。それで『きたざわ苑』に?
はい。人員募集の広告を見て、何だかビビビと惹かれるものがあって、電話で問い合わせ後、面接をして、即日デイサービスで働くことに決まりました。当初は狛江市の社協での療育の仕事がメインで、きたざわ苑のデイサービスの仕事は週2回だけだったのですが、人が足りないからと、援助を増やすようお願いされ、比重がどんどん増えていき…。何よりも、何か惹かれるものがあってきた「きたざわ苑」が、実は、「自立支援」に先駆的に取り組んできて、「オムツゼロ」「下剤なし」「水分、食事、排便、運動に特化した認知症ケア」を、施設内の施設部門と在宅部門が連携し合って意欲的に取り組んでおり、その活気あるスタッフに囲まれた中で働けることの誇らしさも感じ、とうとう、あれだけやる気のあった障害療育は辞めて、「きたざわ苑」の高齢者ケア1本に仕事をしぼりました。
1階フロアにはリハビリスペースが。介護予防の一貫としてトレーニングプログラムを実施。
―デイサービスで3年ほど働いた後、このヘルパーステーションに移られたと伺いました。それは異動か何かで?
デイサービスを行っているうちに、もっと、自分にしかできない仕事はないかを模索し始めました。その様な時期に、ヘルパーの仕事に関心を持ったことで「イチからヘルパーの勉強をし直す」という気持ちで、一旦他事業所のヘルパー事業所に移ることを決意していました。しかし、縁があり、最終出勤日に、在宅サービスのグル―プマネージャーに「きたざわ苑のヘルパーで働かない?」とお誘いがあり…。在宅サービスのグループマネージャーは、訪問看護の所長さんでもあり、在宅介護においては、実力もあれば、人間性もとても魅力ある方で、前々から尊敬していた方からのお誘いだったので、さすがに心がグラッと揺れたんですよ(笑)。でも何より施設長と話しをした際の「ここを笑顔に出来ますか?」と言う言葉に感じ入るものがあって、思わず「できます」と答えていた自分がいました。介護としての経験値はほぼゼロですが、本当に大好きな「きたざわ苑」だったので、チャンスがあって、私にとっては新しい「ヘルパー」という仕事も、きたざわ苑の施設長と、所長と共に働くことができたら、きっとみんなを笑顔にすることならできると思えたんですよね。
訪看、ヘルパーステーション、介護支援センターという並びでオフィスはひと続き。
―それで、他事業所は断り、きたざわ苑のヘルパーステーションで働くことになったのですね。「ヘルパーに関心を持った」とありましたが、それはどんなことがきっかけですか?
「1リットルの涙」というテレビドラマ番組から知った、難病を抱えた娘を持つお母さんの手記である本を読んだとき、「うちの娘は、来てくれたヘルパーさんを誰一人忘れていない」という記述があって、それほどまでに存在意義のあるヘルパーは、自分の求める仕事なのではないか、と深く感銘を受け、心が震えたのがきっかけです。
また、手記には、「理不尽な対応のヘルパーもいたが、最期にはとてもいいヘルパーとめぐり合って、息をひきとる時も瞬間も逃さず、見守ってくれた。そのヘルパーと娘が出会えたことに、心から感謝している」という内容の記述があり、自分も「このヘルパーさんに来てもらってよかった! このヘルパーの事業所を選んでよかった!」というヘルパーとサービス提供責任者を目指そうと、強く心に決めました。
受付部分にある「声のポスト」。気づいたことなどを誰でも投函できるようになっている。
―いざデイからヘルパー業務に変わり、実際やられてみてどうでしたか?
一言で言えば、楽しさと表裏一体に、苦労も絶えなかったですね。でも、苦労を苦労とも感じなかったくらい、やりがいがありました。当時のヘルパーステーションは問題が山積みで。サ責になること前提で採用されたこともあり、その課題にも向き合っていく必要があるのと同時に、訪問での現場経験がゼロのため、全てが一歩ずつ手探り状態。技術は教えてもらってどうこうなるものでもなく、やっぱり現場経験を重ねていくことでしか習得できないんです。当初は傍でヘルパーの介護の様子を始終じっと見ているご家族に対しては、「慣れなくてすいません」と一言お声をかけてから入って、一度注意されたことは次からしない、と心に留めながら、の繰り返しですよね。何より励みになったのは、ご利用者さんからの感謝や人の役に立っているという実感です。これは私にとって、人生観が変わるほどで、なんで今まで、もっと早くこの仕事をしなかったんだろうって思えるぐらいにこの仕事にやりがいを感じさせてもくれました。